おとうか

おとうか 原新田

 原新田が現在より東の地にあった当時の話です。

 その頃の村は、松や雑木がうっそうと茂る山の間を貫通する道路と、そこを流れる小川に沿って家々が点在し、養蚕やおかぼ(陸稲)、トウモロコシ、さつまいもといった農作物を作り、山でわらびやクリ、きのこなどを取って生活してきました。そして、これらを取りに入り道に迷うことも多く、こんな時には『おとうか』にばかされたなどと言ってきました。また、秋の収穫が終わり、村の女達が白絹を織っては市場へ売りに出かけると、これをねらって追いはぎが出て村人を苦しめることもあったそうです。これらのことも戦争により飛行場が建設されることになって、闇の様な木立は日増しに、すだれの様になり、丘は削り取られてゆき、家々も移転し始める頃になると、夜ごと、おとうかがなんとも悲しそうに細く長い声で「コーン、コーン」と鳴いたそうです。この鳴声は先祖代々の地を移住しなければならない村人にとって、ねぐらを追われるおとうかの気持ちと合い通じるものがあった為にか、いっそう悲しくやるせない想いで毎晩聞いてすごしたそうです。

 しかし、このおとうかの姿をみることは一度もなく、現在の新部落へ移り住み、長い歴史をもった部落は、おとうかの鳴き声が細くとだえると共に消えてゆきました。

夜ごとに鳴くおとうかの水墨画
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