阿久原の牧の話

阿久原の牧の話 阿久原

 神泉小学校の校歌に「御牧をはるか」という言葉があります。そうです。山に囲まれたこの地は、ずっと昔は牧場だったのです。

 今から千年以上も前の、平将門の乱が始まろうとする頃のお話で、馬はその頃の「いくさ」にとっては無くてはならないものでした。

 阿久原の地は東に御嶽山、南に横隈山等の山々に囲まれ、西から北にかけて神流川の流れに包まれていて北向きのなだらかな坂になっている土地です。だから、水が湧き出て馬の飼料となる牧草もよく育ち、神流川の河原に出れば馬に水をやるにも体を洗うにも大変便利な所でした。

 「今年も隣の秩父の牧、石田牧と合わせて、20頭の馬を天子様(天皇)に納めなければならない。ここは山の北側に当たるので冬は寒いから、南側の日当たりの良い暖かい住居野で育てよう。」

 そんな事を話しながら牧場の人々は馬を大切に育てました。

 夏と冬の季節の移り変わりの時期には山道を登ったり、下ったりする馬の列が長く続き、威勢のよい「馬のいななき」が山々に響き渡ったことでしょう。

 後に、この地を訪れた「水戸光圀(黄門様)」は次のような歌を作ったと云われています。

 阿久原の牧の稲荷に鈴かけていななく駒に、いさむ武士

 昔、この地の武士はいくさに出かける時は阿久原の牧の稲荷様に鈴をかけてお祈りをして、元気のよい馬の「いななき」を聞いて勇ましい思いになって出陣したことでしょう。

 上武橋の土手の小山の上にはその歌碑が建てられていて、駒形稲荷も祀られています。

 そして、今も尚、政所(牧場のいろいろな世話をした所)、馬場、馬出(馬を訓練した所)、立野、門野、番場(馬が逃げないように見張りのあった所)などが地名となって残っていて、昔阿久原の牧だった頃の様子を今に伝えています。

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